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月別アーカイブ 4月 2017

シニアの副業選択基準とは

先日、55歳からのサバイバル術というセミナーに出席してきた。
この中でサイボウズ社の野水克也さんのお話がおもしろかったので、記載します。

サイボウズ社 野水克也さんの副業

野水克也さんは、現在サイボウズの社長室フェロー。もともとテレビカメラマンを8年。家業の建設業の経営を5年後、2000年にサイボウズに入社されている。
サイボウズ社自体、”副業禁止は禁止”というぐらい副業推奨していて、最近では”副業として採用”までしている。
野水さんも「働き方改革」というキーワードで、いろいろなところで講演されているようだ。
野水さんの副業は、もともとの仕事だったカメラだ。今では、クロマキー技術を使ったり、ドローン撮影など、新しい機材や技術を取り揃えてプロ顔負けらしい。
そもそもは、2005年に10年ぶりにカメラに触って写真を撮り始めた。最初は会社の広報補助でということで実施し始めたそうだ。補助として再開したカメラだが、周りのプロのカメラマンの撮り方を見て、技術的にはそれほど違いはなかったと感じ、野水氏のカメラマンの”副業への道”が始まる。
最初は、補助から、ちょっとしたお金を謝礼ベースで受け取る形に。やはりプロ並み?のお金は撮りにくかったし、請求もしにくかったと語る。
こうして、ちゃんとしたお金がとれるようになるまでに”5年”ほどかかったと述べる。
さらに野水さんは、稼いだお金をすべて機材につぎ込んでレベルアップを図る。どんどん新たなことに挑戦して、自分でないとできない得意技に。こうして、現状では、社長室長をこなしながら、空いた時間の副業で年収の10分の1ぐらい稼いでいると語る。

キャリアチェンジの時間を、副業の選択基準とは

野水氏は、自らの体験から、”副業”をするには、キャリアチェンジの時間=「学習」が必要だと説く
そのために、現在の会社での「働き方」を考えて、長くいることをメインにするのを変更すべきと説く。長くいることで”学ぶ”時間がなくなってしまいますよ。
副業の選択の基準としては3つあげていた
1)自分の好きなことを選択する。お金だけのためではなくて、自分の好きなことを選択することにより掘り下げられ、長く続けられる。元テレビカメラマンだった野水さんがお金ちゃんととれるまで5年かかっている。長く続けない限り、難しいということだろう。
2)複数スキルで働く 単一スキルだけでは、専門にしている人には勝てない。そこは複数スキル(例えばIT+農業やIT+経営)で売り込むことによって、チャンスが広がるということだろう。スティーブジョブスの言葉に”創造とは結びつけること”という言葉もある。副業で何か新たなものを創らないといけないという考え方でなく、何か”結びつける”ことそれ自体が創造。だから、学習をする上においても、自分の現在あるスキルに何をプラスアルファして、差別化をするのか選択するということだろう。
3)高単価、省力ビジネスを選択する
やはり、シニアになると体力は落ちてくる。労働集約的な仕事を選択できませんという話。
”副業”である以上、本業への影響は最小限にしないといけない。本業に影響でれば評価は下がるし指導も入る。これは、別に副業にかかわらずである。だからこそ、体力でお金をかせぐものは、副業には選択できない。
でも、現実、シニアが選択するときに、高単価、省力ビジネスを選択できるのかということだ。 高単価、省力ビジネスを選択するためには、複数スキルで差別化が必要だし、そのための学習が必要。学習してお金になるまでするには、長く突き詰める必要がある。
そのためには、自分の好きなことを選択する必要があるという3点はすべてつながった話なのだ。

副業は自己防衛

野水さんは、副業は、”自己防衛”のため必要だと説く。
「会社は永遠ではない、だから個人としても自己防衛が必要だし、会社としても永遠でないことを前提に社員が働いてもらう必要:会社にしがみつかない働き方をしてほしい」と述べる。
野水さんが、サイボウズに入社したときは、数十名の会社だったそうだ。離職率も高く、ブラック企業だったと。もちろん個人的にも、自宅の建設会社も経営して中小企業のある意味”もろさ”を身をもって経験しているからこそ、言える話かなと思える。
こう思っているからこそ、”副業”に真剣になれるのかも

複業してきたことの強さ、自分の副業を探すコツとは

定年制度がある以上、どんな人にとっても、副業の準備は必要と思われるが、
野水さんの例を聞いて、「複業」を経ている人は強いなとも感じた
日本の社会は、ひとつの会社で勤め上げる価値観が過去、強い社会だったと思う。
でも、野水さんの今までの人生の流れを見ていると「複業」経験していることって働く選択肢を考えたら”強いな”と思う。
多くの方は、野水さんの例にはいかないのではないか
今シニア例えば50代以上の方は、やはり”会社一筋”で、”複線”経験している人は少ないのではないか。

では、そうしたシニアはどうしたらいいのか?
やはり野水さんの副業選択の基準は重要だ
①好きなこと、長く続けられることを選択すること
②複数スキルを身に着ける
③高価値、省力ビジネスを選択する
この基準で”自分が情熱を傾けられること”を見つける心の準備をまずするということではないだろうか
やはり、自分なりの”副業”を探す、決めるにも時間はかかるということだ
自分で考えて、自分なるの”副業”を決めるタイプの方もいるだろう:自分なりの内なる声を聞く
回りの人にアドバイスも求めながら、決めていくこともあるだろう
もしくは、偶然の出会いや出来事によって決めていくこともあるだろう。
心の準備がないと、すべてが過ぎ去るだけになってしまう
準備ができていれば、偶然の出来事に対しても”新たな選択”をできるようになる。

自立とは、

副業を確立するためには時間がかかる。だから準備も必要なんです。
もちろん、副業を決める上でも時間はかかる”ということだ。
だからこそ、心の準備をしながら、”副業”を探すこと、が重要なのだと思う。
野水さんは、”自立というのは依存先を増やすということ”と説いていた。
新たな依存先を見つけること、そのための”心の準備”をすることが、”副業への第一歩だと思う”

 

参考:野水克也氏の講演例
「共働き時代のワークスタイルとは?」サイボウズ野水克也氏
「離職率28%」出発の改革 サイボウズ野水氏「人は好きな事をやるとき一番成長する」

ボウリング場の支配人からITコンサルタントへ (株)ファイヤーフライ 岩崎社長の選択

1.「”勤め人”はもういいかな」
岩崎氏は現在60歳。職歴は水泳のインストラクターから始まり、スイミングクラブやボウリング場の支配人を務めてきた。独立を考えるきっかけは、7年前、会社の創業者が逝去。そこから会社が大きく変わり始める。古いものから新しいものへと、過去の経験は重視されなくなる雰囲気に。2年前に創業者の子が会社を継ぐと流れは加速。創業者とともに会社を作ってきたベテランはもとより、若手までがぽつぽつと会社を辞めていく。そんな中、岩崎氏は当時執行役員として会社の変容と辞めていく社員の間に立ちながら「”勤め人”はもういいかな」と思い始めていた。
2.ボウリングの支配人からITエンジニアへ
「”勤め人”はもういいかな」と感じていた岩崎氏。定年を迎え、躊躇せず独立起業を選んだ。仕事の内容は、ITコンサルタント・データアナリスト・システム開発。ボウリング場の支配人がなぜITコンサル?と思うが、氏の学生時代からの趣味に答えがあった。

株式会社 ファイヤーフライ 岩崎社長

大学は理工学部で物理を専攻。当時大きな汎用機を使ったコンピュータの授業があり、FORTRANやCOBOLでのプログラミングに面白さを感じ夢中に。自分でもパソコンを買い、Basicから始まり、Lisp、Pascalといったプログラミング言語やDelphiといった統合開発環境に手を出すようになっていった。

そのうち、趣味の領域を超え、自分でアプリケーションを作って会社に適用するようになる。支配人の仕事をしながら、”一人情報システム”として会社の情報システムを一手に引き受けるような立場に。会社に適用するアプリケーションを作っているうちに、それぞれ作りやすい言語を選択していき、気が付いたら様々なプログラミング言語を手掛けることになっていったという。

3.経営とITの”つなぎ”役に
そんな中、会社のシステム構築のためにベンダーから見積もりをとることに。複数の会社から見積とると、金額はなんと20万円~400万円の幅が。大手のベンダーからの見積もりが一番高かった。素人は大手に頼めば”いい”システムを安心して導入できると思ってしまうが、岩崎氏は違った。各社の仕様を確認。提案しているベンダーが以外と自分たちの事業や経営規模を考慮していないことがわかった。大手のシステムは自社にはオーバースペックで適用しにくいことに気づき、一番会社にフィットした会社を選択。無駄なコストをかけずにシステム導入を実現できた。

こうした経験から、中小企業にITをわかる人が少ないこと、ITベンダーも事業や経営には詳しくなく経営とITの”つなぎ役がこれから企業のIT化には不可欠だと感じた。自分であれば、経営もITもわかり、かつスイミング業界やボウリング業界の人的ネットワークもある。この業界は中小企業も多くシステム化は進んでいない。自分の経験を活かしながらITコンサルとして業界のIT化を支援できるのではないかとエンジニアの道を選択することに。

4.プログラミングへの”情熱”
現在は、水泳のインストラクター募集事業のシステム構築支援を、理事として担いながら、自らの会社の事業としてICカード勤怠管理のパッケージを切り口に、業界へのITコンサルタントを担うビジネスを立ち上げ中だ。経営者としても会員数減少に陥っていたクラブをブランディングし、会員拡大と大幅な黒字化を達成した手腕をもつ同氏、業界での、経営とITの”つなぎ”役を目指す。「中小企業の経営者も世代も替わりITへの理解も増えている。今まではコスト削減のIT活用だったが、これからは販売を伸ばすITを提案できるとコンサルタントとしての強みになるのではないか」と説く。

事業立ち上げに忙しい岩崎氏だが、プログラミングへの興味も尽きない。現在もAIの活用に向け、Pythonを覚え始めた。スキル習得に中野区で進める産業振興推進機構(ICTCO)を利用し非常に役に立っていると話す。理解できない部分があれば、ICTCOの参加企業の若手に気軽に質問しながらプログラムを作り上げているそうだ。会社名のファイヤーフライという名前も、機械学習のアルゴリズム名から名付けているという。

5.これから”選択”を迎えるシニアへ。”老害”とならないために。
岩崎氏が定年時に、再雇用ではなく独立を選択したのは、「65歳になってほうりだされても、その時から始めて大丈夫なのか。今だから、まだ出来る!」と考えて決断したそうだ。

岩崎氏は、シニアにとって健康と体力が重要と語る。もともと水泳のインストラクターだった氏は、今でも週1回は必ず泳ぐそうだ。若いうちは運動すればすぐ体に筋肉がつく。しかし年をとると運動しても効果が出るまでに数週間かかるそうだ。効果がでないなと思って運動をやめれば、代謝能力も落ち太ってくる、さらに動きにくくなるという悪循環をもたらすという。動かなくなってから、動き始めても手遅れだと。だからこそ、早めに動いてかつ継続することが重要と語る。人生の選択も同じだ。”できるうちに早めに”ということだろう。

またエンジニアは、技術の移り変わりが早い。WEB、スマホ、AIと範囲も広がってくるシニアは会社でそれなりに経験も積み、勉強もしてきていると思うが新しいことへの勉強も必要ではと説く。
さらに重要なのは、経験の論理化。経験を”勘”としてではなく、”論理的”に語れるようにしないと、若い世代には理解できない。理解されないと”自説をまげないただの老害”になってしまう怖れがあるのではと語る。

6.自分の人生を”選択”していくために
岩崎氏とお話をしていて、やはり”好きこそものの上手なれ”だなと感じた。プログラミングを趣味から仕事に、さらに独立の糧にと”やりたいこと”を着実に一歩一歩実現してこられている。60歳過ぎてもプログミングへの興味はつきない、若手にどんどん質問しながら新たな言語へと挑戦している。”水泳選手が一番プログラマーに向いているスポーツ選手なんです”とにこやかに語る岩崎氏の姿にITエンジニアとしての情熱を感じた。自ら実践されて来た、決断の時期の早さ、勉強の必要性、経験の”論理化”など、シニアが人生を創りあげていくために必要な要素の示唆を多く気づくことができた。
長年携わってきた、水泳業界やボウリング業界への愛着も深く、今後ネットワークを活かし、ITコンサルタントとして”経営とITのつなぎ役”としてのご活躍を期待している。

今回中野区産業振興推進機構(ICTCO)様の紹介にてインタビューを実施させて頂いた。お忙しい中インタビューにお応え頂いた岩崎様と調整頂いた千種様、つないで頂いた(株)セピアの向井様に御礼申し上げたい。